先に答え:語は1869年、関係はそれ以前からある

「同性愛」という言葉の歴史と、同性間の親密さの歴史を分ける。

研究上、ドイツ語の Homosexualität は、ハンガリー出身の作家カール・マリア・ケルトベニー(Karl-Maria Kertbeny)が1869年に匿名で出したパンフレットで使った語として確認されています。Manfred Herzerの研究は、文書上の根拠からケルトベニーの著者性と、その語が生まれた政治的背景を検討しました。

しかし、1869年を「同性愛の誕生日」と呼ぶのは不正確です。同性間の親密さや性行為は各地の歴史に現れます。新しいのは、性対象を個人の性質・分類・アイデンティティとして表す語が生まれ、法・医学・運動・自己紹介の回路へ入っていったことです。

ケルトベニーの造語は、最初から一般語ではなかった

「同性愛」という説明では、ケルトベニーが1868年の私信で語を使い、1869年のパンフレットで公にしたという年の違いが紹介されることがあります。ここでは、公開文書として研究上確認される1869年を基準にします。語がいつ私的に書かれ、いつ公刊され、いつ広く読まれたかは、同じ「誕生」ではありません。

Herzerの研究とOosterhuisの性科学史が示す重要な点は、語が作られてすぐ社会の共通語になったわけではないことです。Homosexualität と Heterosexualität は1869年に導入された後、19世紀末ごろの性科学者によって再び使われ、分類体系の一部として定着していきました。

性科学は、道徳の語を医学の分類へ移した

移動は単純な「啓蒙」ではなく、救済と統制を同時に含んでいた。

19世紀末の性科学では、行為を一時的な逸脱として扱うのではなく、個人の内面や身体に結びついた性質として説明する動きが強まりました。Oosterhuisは、クラフト=エビングやアルベルト・モルの著作を通じて、性の分類が病理の語と多様な欲望の認識のあいだで揺れ動いたことを論じています。ヴィクトリア朝の医学・文学・女性運動が性科学の権威を競った過程は、ヴィクトリア朝の性科学とは? で別の資料層として扱います。

この分類は、犯罪や道徳的非難から人を切り離す議論の足場にもなり得ましたが、同時に「正常/異常」を医学が決める権力も強めました。後世から見て進歩か後退かを一色で判定するより、誰が、どんな制度のもとで、どの語を使えるようになったのかを追う方が正確です。

  • 可視化 — これまで公的に語られにくかった経験が記述・研究の対象になる
  • 分類 — 欲望をタイプや原因として整理し、法・医学・統計へ接続する
  • 病理化 — 同じ分類が「異常」や治療対象のラベルにもなり得る
  • 再利用 — 当事者や運動が、押しつけられた語を権利と自己定義の語へ組み替える

ヒルシュフェルトと「科学を通じて正義へ」

マグヌス・ヒルシュフェルトは、性科学を研究室だけの知識にせず、教育・相談・法改正運動と結びつけた人物です。米国ホロコースト記念博物館の解説によれば、1897年に科学・人道委員会を共同設立し、男性同士の関係を犯罪化したドイツ刑法175条の改正を長く訴えました。1919年にはベルリンに性科学研究所を開き、研究・医療・教育・アーカイブを一つの場に置きました。

この歴史を英雄伝だけにしないことも必要です。ヒルシュフェルトの理論には同時代の生物学・優生学の影響があり、現在受け入れられていない部分もあります。1933年にナチスが研究所を襲撃し、多くの資料を破壊したことは、性の知識が政治的暴力と無関係ではないことを示します。

古代や江戸を「同性愛の歴史」と呼ぶときの距離感

現代の検索では「古代ギリシャの同性愛」「江戸時代の同性愛」のような問いが自然に立ちます。現代語は入口として便利ですが、古代ギリシャの年齢・市民権・役割、江戸の男色・衆道・芸能・遊里など、関係を組み立てる制度はそれぞれ異なります。

そのため、過去の同性間関係を調べるときは、第一に当時の語と制度、第二に残っている史料の種類、第三に現代の研究者が使う分析概念を分けます。性史の史料を誰が、いつ、どの目的で残したかという基礎は、性の歴史はどう調べるのか? で整理しています。江戸時代の春画を読む記事 では、男性同士の表現を含む作例を扱いながら、それを現代の固定的なアイデンティティへ変換しない方法を示しています。古代ローマの市民権・身分・男性性が関係をどう評価したかは、古代ローマの性規範とは? で、中世西欧の教会法・婚姻・「ソドミー」の語の揺れは、中世ヨーロッパの性規範とは? で具体的に整理します。

日本語圏の「性的指向」は、翻訳以上の出来事だった

日本語圏で、性を「性的指向」として理解する語彙がどのように広がったかも、概念史の一部です。武内今日子の研究は、1990年代の性的少数者のミニコミ誌を分析し、「性的指向」が同性への欲望の先天性・不変性という理解と結びつきながら差別を問題化し、同時に二元的なカテゴリーに収まらない個別の性を可視化したと論じています。

これは、欧米で生まれた語を日本語へ置き換えれば意味が保存される、という話ではありません。翻訳、国際的な疾病分類、運動の自己記述、雑誌の読者といった具体的な場で、語の意味が交渉されました。近代概念の歴史は、語源と辞書だけでなく、使った人々の実践を読む必要があります。女性同士の親密さ、戦後の「レズビアン」カテゴリー、ミニコミとレズビアン・フェミニズムの歴史は、日本のレズビアン史とは? で扱います。

「同性愛」の歴史は、分類を問い返す歴史である

Homosexualität は1869年に現れ、性科学を通じて広がり、権利運動や当事者の自己理解によって意味を組み替えられてきました。その過程には、同性間の関係を語る道を開いた側面と、病理・犯罪・監視の枠に閉じ込めた側面が同時にあります。

だから、検索の短い答えは「1869年」です。しかし、歴史としての答えは「1869年に何が名づけられ、その語が誰の手で、どの制度を通り、どのように使い直されたか」です。言葉の年表を、研究・法・運動・自己記述のネットワークへ戻すことが、このテーマの独自価値になります。