先に答え:レズビアン史は、関係・分類・自己記述を分けて読む歴史である

同じ「女性同性愛」という言葉でも、誰が誰をどう語ったかで資料の意味は変わる。

「日本のレズビアン史」を、古い時代から現代まで同じアイデンティティが存在した年表として描くことはできません。歴史研究でまず分けるべきなのは、第一に女同士の友情・親密さ・性愛を含む関係、第二に医学・新聞・雑誌が作った「女性同性愛」「レズビアン」などの分類、第三に女性自身が使った自己記述と、出会い・出版・運動の場です。

この三つは重なりますが一致しません。明治・大正の資料は、女性同性愛を「語られる事件」や女学生の問題として可視化した可能性を示す一方、それが当事者の自称や生活全体を記録したとは限りません。戦後以降は、表象を作る出版物と、女性たちが自分たちで残したミニコミ・回想・運動資料を照合する必要があります。近代日本の性科学とは? が知識の生産と流通を追うのに対し、この記事は女性同士の関係が分類され、表現され、共同体として語り直された過程へ焦点を置きます。

明治末〜大正期:性科学は女学生と「新しい女」をどう語ったか

女性同性愛は、性行為だけでなく、新しい女性のセクシュアリティを説明する知識として組み立てられた。

鄒韻の名古屋大学博士論文は、近代日本と中国で女性同性愛がどのように語られたかを、性科学の受容、女性同性愛をめぐる言説、女同士の愛を描く文学から比較します。要約が示す重要な点は、当時の可視化がレズビアンの自己表現そのものではなく、事件や問題として語られる可視化でもあったことです。

日本では明治末期から大正期に西洋の性科学が広がり、女学生や「新しい女」が、女性のセクシュアリティをめぐる新しい知の対象になりました。女同士の親密さは、友情なのか同性愛なのか、あるいは良妻賢母規範からの逸脱なのかという境界線の上で分類されます。ここでは、性科学が単に新しい用語を与えたのではなく、誰の親密さを問題にし、どの女性像を管理するかを組み替えたと読むことができます。

  • 語られる客体 — 新聞・医学・教育の言説が女性同性愛を問題として記述する
  • 新しい女性 — 女学生や「新しい女」が、近代的な女性の象徴として注目される
  • 文学的な主体 — 女性作家が女同士の絆や愛を、女性のための表現として書き直す

『青鞜』の小説:女性同性愛は「排除」だけでは読み切れない

同じ雑誌の評論と小説が、性科学やスキャンダルに同じ反応をしたとは限らない。

趙書心のJ-STAGE論文は、1911年創刊の『青鞜』に掲載された四つの小説を、同時代の女性同性愛言説との関係で読みます。従来の研究が平塚らいてうらの評論を中心に「レズビアニズムの排除」を論じてきたのに対し、この論文は文学作品のなかに、同性愛を承認したり、排除に抵抗したり、外部のスキャンダル言説を攪乱したりする表現が残ると整理します。

つまり、『青鞜』を女性解放の一枚岩として持ち上げることも、性科学を受け入れて女性同性愛を排除した雑誌として閉じることも、作品の差異を消してしまいます。女同士の親密さは、友情・恋・性的関係・「中性」など異なる語へ置き換えられながら、異性愛制度を批判する可能性と、そこへ回収される危うさを同時に含みました。

戦後1940〜60年代:「レズビアン」は雑誌・映画・都市の言葉になった

戦後のカテゴリー形成は、翻訳語・戦前の表象・日本の女性文化が接続する過程だった。

京都大学学術出版会の『セクシュアリティの戦後史』には、赤枝香奈子による「戦後日本における『レズビアン』カテゴリーの定着」が収録されています。出版社の目次は、戦前から戦後への接続、1940年代後半の雑誌記事、1950年代の「レスビアン」「レズビアン」、キンゼイ報告の影響、1960年代の「エス」「レス」、歌劇の男役、レズビアン・バー、フリーセックス・ブームを一つの章の論点として示しています。

この章立てから見えてくるのは、「レズビアン」という語が翻訳されて終わったのではなく、雑誌の表象、女性同士の文化、都市の商業空間、性科学の知識が接続する場所で意味を変えたことです。ただし、雑誌や映画に現れたカテゴリーは、そこに登場しない女性たちの経験を代表しません。表象の増加を、そのまま社会的承認や生活上の自由の増加と読み替えないことが必要です。

  • 翻訳・分類 — 「レスボス愛」「サッフィスト」「トリバード」など異なる語彙が接続する
  • 日本の文化 — 「エス」、歌劇の男役、少女文化など、国内の表現と語りが交わる
  • 都市・出版 — 雑誌、映画、バーが、見えるカテゴリーと見えない経験を同時に作る

1970〜80年代の雑誌表象:可視化は、誰の声を増やしたのか

一般雑誌の「レズビアン」表象と、女性たち自身の言葉は同じ資料ではない。

中央大学の研究叢書『戦後日本女装・同性愛研究』には、杉浦郁子による「1970,80年代の一般雑誌における『レズビアン』表象—レズビアンフェミニスト言説の登場まで」が収録されています。書誌・目次から確認できる範囲では、戦後の一般雑誌が女性同性愛をどう表象し、レズビアンフェミニスト言説の登場までをどう位置づけるかが研究対象です。

ここで、マスメディアに描かれた「レズビアン」と、女性たちが自分たちの生活・欲望・政治を記録した資料を混ぜないことが重要です。前者は社会が女性同性愛をどう見たかを示し、後者は当事者がどんな言葉を選び、誰とつながり、何を問題にしたかを示します。両者のずれは、単純な「偏見から理解へ」という進歩の年表では見えません。

「レズビアン・コミュニティ」は最初から固定した共同体ではない

バー、出版、翻訳、イベント、運動は、つながりを作る一方で境界も作った。

James Welkerの研究は、日本のレズビアン・コミュニティを、最初から一枚岩の集団としてではなく、女性たちが自分たちの過去を語り、つながりを作る過程として扱います。バーの歴史、ダンスパーティー、レズビアン・フェミニズム、コミュニティ内外の出版物、翻訳、プライドや映画祭などが、複数のアイデンティティを交渉する場として並びます。

そのため「日本のレズビアン・コミュニティがいつ始まったか」という問いにも、単一の創立年だけでは答えられません。誰が自分をどの語で名乗ったのか、誰が資料を残したのか、言語・階級・都市・性的指向の違いがどの場から人を遠ざけたのかを、記録の種類ごとに確かめる必要があります。

リブからレズビアン・フェミニズムへ:対立だけでも、直線的な進歩でもない

女性の性的自律を掲げた場が、女性同性愛をめぐる新しい実践の条件にもなった。

WelkerのOxford Academic掲載章は、1970年代前半のウーマン・リブと、その後のフェミニズムを、レズビアンにとって単純に友好的/敵対的な空間として処理しません。リブが女性の性的自律、性と生殖の健康、性的快楽、結婚や家族規範の批判を中心に据えたことが、レズビアン・フェミニズムの形成条件にもなった一方、女性同性愛者が周縁化・排除された経験も残ったと論じます。

同章が扱う資料には、商業出版物、翻訳、雑誌記事、ニュースレター、冊子、その他のエフェメラ、インタビューが含まれます。1970年代半ばの女性たちによる調査とミニコミ、1970年代後半のレズビアン・フェミニスト・グループ、1980年代のレズビアン・フェミニスト・センターやRegumiへとつながる流れは、海外の概念を輸入しただけでも、日本国内だけで自然発生したものでもありません。翻訳、出会い、批判、選び直しが運動の語彙を作りました。

  • 1970年代 — リブの性の自律と、女性同性愛をめぐる沈黙・摩擦が同じ場に現れる
  • 1970年代後半 — 調査、冊子、ミニコミが女性たち自身の経験を集める回路になる
  • 1980年代 — レズビアン・フェミニストのグループ、相談・交流の場、出版活動が分岐する

1970〜80年代:翻訳・移動・少女漫画が「女性」を組み替えた

レズビアン史を運動だけで閉じず、少女漫画の作り手・読者との重なりまで資料地図に置く。

James Welkerの2024年の研究書『Transfiguring Women in Late Twentieth-Century Japan』は、1970〜80年代のウーマン・リブ、レズビアン・コミュニティ、クィアな少女漫画の作り手と読者を、重なり合う三つの場として扱います。これらの女性たちや少女たちは、「女性」という規範的なカテゴリーをそのまま受け入れず、海外から選択的に取り入れた考え・イメージ・実践を日本の場所へ組み替えました。

この研究の新しい視点は、「欧米の影響が日本へ入った」という一方向の受容史にしないことです。用語、翻訳、移動を通じて、フェミニズム、レズビアン、少女漫画の文化がそれぞれ別の仕方でローカルな意味を作り、その過程で「女性」であることの可能性も変わりました。初期の辞書・性科学・文学、戦後の雑誌・翻訳書・漫画・アニメーション、ニュースレターやミニコミ、60人以上へのインタビューという資料の幅も、単一の雑誌や運動の年表では拾えない交差を示します。

  • 重なる場 — ウーマン・リブ、レズビアン・コミュニティ、少女漫画の作り手と読者を別々でありながら接続して読む
  • 翻訳と移動 — 「西洋」をそのまま輸入したのではなく、日本の生活・言葉・表現へ選び直す過程を追う
  • 資料の厚み — 辞書・性科学・雑誌・翻訳・漫画・ミニコミ・インタビューを、同じ証拠にせず照合する

「レズビアン史」そのものも、後から作り直されてきた

過去を取り戻す語りは、可視化を進めると同時に、別の過去を省くことがある。

「レズビアン史」は、過去に名前が付いていた事実を発見するだけの作業ではありません。Welkerは、戦後日本で女性同士への欲望を自分のアイデンティティと結びつける女性たちが現れ、1971年頃からコミュニティの語りが形を取り、1990年代のいわゆる「ゲイ・ブーム」と可視化を経て、近代・現代のレズビアン史が積極的に地図化されていった過程を検討します。

その過程には、先行する女性たちを「自分たちの歴史」として取り戻す働きだけでなく、採用しやすい物語だけが残り、他の経験が省略される働きもありました。したがって、歴史記事がすべきことは、誰を最初のレズビアンと決めることではなく、どの資料がどの共同体のために過去を語り直したのかを示すことです。

日本のレズビアン史を調べるときの三つの分け方

検索で見つかる「日本のレズビアン史」「女性同性愛の歴史」「女学生と同性愛」は、同じ答えを求めているとは限りません。資料を次の三層へ分けると、過去の関係を現在のカテゴリーへ急いで回収せずに済みます。

また、性科学・新聞・一般雑誌・文学・ミニコミ・回想・運動資料は、記録する人と目的が異なります。公開抄録や出版社の目次しか確認できない研究については、記事でも章の射程や書誌を超えた細部を補いません。

  • 表象 — 医学、新聞、雑誌、映画が女性同性愛をどんな問題・人物像として描いたか
  • 自己記述 — 女性たちが自分をどう名乗り、どんな翻訳語・出版物・ミニコミを選んだか
  • 共同体 — バー、グループ、相談、イベント、運動が誰をつなぎ、誰をこぼしたか

日本のレズビアン史は、発見の年表ではなく語り直しの歴史である

明治末〜大正期には、性科学と女学生・「新しい女」の言説が女性同性愛を語られる対象にし、『青鞜』の小説はその分類へ応答し、抵抗し、別の親密さを表現しました。戦後は雑誌・映画・バー・翻訳が「レズビアン」のカテゴリーを変形させ、1970〜80年代にはリブ、ミニコミ、レズビアン・フェミニズムが女性自身の記録と共同体の言葉を増やしました。

それでも、残った資料をそのまま「日本の女性同性愛者の歴史」と呼ぶことはできません。見える表象、分類する知識、女性自身の自己記述、後世の歴史化を分けて読むこと。これが、個別の経験を一つの物語へ押し込めずに、レズビアン史を調べるための最小限の方法です。「同性愛」という言葉の歴史 では分類語の成立を、日本で「性的指向」はどう定着したか では戦後の運動・ミニコミ・制度語を、近代日本の性科学とは? では性知識の翻訳と出版を読み比べてください。