先に答え:性同一性は、性別越境の行為と同じではない

概念が生まれた時期と、そこへ分類された人々の実践の歴史を分ける。

「性同一性」(gender identity)は、自分をどの性別として生きるかという意識や位置づけを説明する概念です。しかし、性別の衣服を着たこと、別の社会的役割を担ったこと、身体を変えたいと語ったことを、現代の性同一性やトランスジェンダーというアイデンティティと自動的に同一視することはできません。

Jun Kohの概念史レビューは、19世紀半ば以降の医学記録、1950年代の gender の議論、1980年のDSM-IIIにおける gender identity disorder までをたどります。日本では、1997年の診断・治療ガイドライン、1998年の公に認められた手術、2003年成立・2004年施行の特例法が、用語を医療・法制度へ接続する節目になりました。

したがって、検索への短い答えは「性同一性という概念は20世紀半ばから整理され、日本語の制度語としては1990年代後半に広がった」です。歴史としては、誰がどの場でどの語を使い、何を可視化し、何を病理化したのかを分けて読む必要があります。

性同一性と性的指向は、同じ分類ではない

二つの概念を区別すること自体が、日本の近現代史のなかで形成された。

性同一性は自分の性別をどう位置づけるか、性的指向は恋愛感情や性的感情がどの性別へ向くかを説明する言葉です。阿部輝夫の2006年の総説も、性同一性障害と同性愛を異なる概念として説明しています。これは、トランスジェンダーの人の性的指向が一様だという意味ではなく、分類する問いの軸が違うという意味です。

日本の1990年代以降を比較したSumi Choの研究は、戦後から1990年代にかけて、性別非規範的な実践・性的指向・メディア上の人物像が同じ「特殊な領域」へまとめられやすかった一方、1990年代末のGIDの言説が性同一性と性的指向を分ける方向を強めたと論じます。詳しい性的指向の日本語史は、日本で「性的指向」はどう定着したか で扱います。

この区別は、過去の人々へ現代の二つのラベルを機械的に貼るための道具ではありません。むしろ、当時の記録が身体、役割、欲望、自己理解をどの語で分け、どの語で混ぜたかを確認するための分析上の境界です。

  • 性同一性 — 自分の性別をどう理解し、どの位置で生きるか
  • 性的指向 — 恋愛感情・性的感情の対象をどう説明するか
  • 歴史研究 — 当時の制度語・メディア語・自己記述を現代語と照合する

1950年代から1980年へ:医学の分類として整えられた概念

gender identity は、性科学・手術・診断分類の交差点で意味を持った。

Kohのレビューによれば、身体的な性別と社会的な役割のずれをめぐる報告は19世紀半ばの医学文献にも現れますが、1950年代ごろまでは同性愛やフェティシズムなどと一括して「性的倒錯」とみなす枠組みが強く残っていました。1952年の性別適合手術が注目を集め、Harry Benjaminの症例報告やJohn Moneyによる1957年の gender 概念の議論が、身体の性とジェンダーのずれを別の問題として整理する回路を作ります。

その後、gender identity disorder は1980年にDSM-IIIの診断名として導入され、DSM-III-R、DSM-IV、ICD-10で分類が調整されました。Kohの2012年のレビューは、DSM-5の草案で gender dysphoria への名称変更や性的指向の下位分類削除が検討された段階までを概説しています。これは診断の受け方を案内するためではなく、診断名が固定的な自然物ではなく、時代ごとに再編された分類であることを示す材料です。

日本の1990年代後半:医療・法制度へ接続した「GID」

ガイドライン、手術、法律は、概念を社会の制度語へ変えた。

日本精神神経学会の第3版ガイドラインは、日本の性同一性障害医療が1998年10月の埼玉医科大学での手術を契機に普及し、2003年成立・2004年施行の特例法によって一定の条件下で戸籍上の性別変更と結びついた経緯を振り返っています。阿部の2006年総説は、1997年の診断・治療ガイドライン策定、1998年の公に認められた手術、2003年の法制定という順序を示します。

この出来事は、医療機関で使われる診断名が、法律、戸籍、報道、当事者の受診経験と結びつく過程でした。ただし、制度ができたことは、すべての当事者が同じ経路を望んだことや、医療を受けた人だけが性同一性を持つことを意味しません。制度史と個人の経験を分けて記録する必要があります。

医療化は、可視化と病理化を同時に進めた

診断名は支援への入口にも、身体中心の枠にもなり得る。

杉浦郁子の2002年論文は、1995年の埼玉医科大学による性別適合手術実施申請以後、日本で「性同一性障害」の医療化が進められた過程を、専門家の言説が「性」をどのように社会的に構築するかという問題として分析します。杉浦が注目するのは、専門知が標準的な知識になっていく過程と、その内部に残る論理の切れ目や別の可能性です。

ここから、GIDの歴史を単純な「昔は無理解、今は進歩」という物語にしない理由が見えます。医療の言葉は、身体と性別のずれを公的に説明し、必要な支援や制度を要求する足場になり得ました。同時に、人を診断名や身体条件へ縮減し、別の生き方を周縁化する枠にもなり得ます。

GIDからトランスジェンダーへ:単なる言い換えではない

診断名、自己定義、運動の連帯は、同じ時期に同じ意味で変化したわけではない。

2024年のSumi Choの比較研究は、古代から江戸期までのジェンダー非規範的な実践、戦後から1990年代のメディア・エンターテインメント・性産業における表象、1990年代末のGID言説、2000年代半ば以降のトランスジェンダー・パラダイムを一つの歴史的連鎖として比較します。論文の主張は、日本史全体を一つのパターンへ決めるものではなく、時代ごとに可視性、階層、医療化、アイデンティティの関係を読み直す枠組みです。

この変化では、トランスジェンダーという語が、診断や身体の条件だけでなく、自己定義、LGBT運動、人権、社会参加の文脈へ接続されます。しかし、GIDを使った人々の自己理解や、医療を必要とした経験まで過去のものにすることもできません。「古い語は誤り、新しい語だけが正しい」と置き換えるのではなく、誰がどの制度のなかで語ったかを残します。

  • 医療の語 — 診断、治療、制度へのアクセスを組み立てる
  • メディアの語 — 表象や人物像を広い読者へ流通させる
  • 運動・自己定義の語 — 当事者が権利や共同体を名乗る
  • 研究の語 — それぞれの語が可視化したものと隠したものを比較する

1990年代〜2010年代:「X」「Xジェンダー」「ノンバイナリー」は一つの直線ではない

診断名が置き換わっただけではなく、雑誌・自助グループ・ネット上でカテゴリーの使われ方が変わった。

武内今日子の2025年の研究書『非二元的な性を生きる』は、1990年代から2010年代の日本で、「Xジェンダー」「ノンバイナリー」「オーバージェンダー」「インタージェンダー」など、「男」「女」に当てはまらない性のカテゴリーがどのように用いられたかをたどります。性的マイノリティの専門誌やミニコミ、インターネット上のテキスト、約30人へのインタビューを組み合わせ、言葉の登場年だけでなく、誰がどの場で何をするために名乗ったのかを資料ごとに読み分けます。

この資料が加えるのは、「GIDからトランスジェンダーへ」という単純な置換史ではありません。同じ「X」でも、GID医療の規範に距離を置く場、バイセクシュアルや性的マイノリティの活動、自助グループ、ホームページやSNSでの交流では、異なる意味づけが生まれました。忘れられた語が別の場で再登場したり、カテゴリーの曖昧さを居場所として使ったりする過程は、用語の普及と自己定位が同じ方向へ進むとは限らないことを示します。

  • 場の差 — 専門誌・ミニコミ、自助グループ、医療運動、インターネットでは同じ語の役割が異なる
  • 連続と断絶 — Xジェンダーやノンバイナリーの定着を、GIDからの単純な進歩として並べない
  • 資料の限界 — 当事者の語り、ネット上の記録、研究者の整理を同じ種類の証拠にしない

性同一性の歴史は、名前を人へ貼る前に制度を読む歴史である

性同一性という概念は、1950年代の医学・性科学、1980年以降の診断分類、日本の1990年代後半の医療・法制度、2000年代以降のトランスジェンダー運動と、異なる場所で意味を変えてきました。歴史上の性別非規範的な実践が古くから存在したことと、現代のアイデンティティ概念が成立したことは、同じ一行では結べません。

過去の人物や記録を読むときは、当時の呼称、身体・役割の制度、メディア表象、本人の自己記述、後世の研究語を分けます。男色・衆道とは? のような前近代史の記事と、「同性愛」という言葉の歴史 を並べて読むと、現代の分類語が過去を照らす一方で、過去の人々を一つの主体へ閉じ込める危険も見えてきます。