先に答え:姦通罪は「不倫全般」の歴史ではない

問題は、夫婦の関係が良かったかどうかではなく、国家が誰の婚姻外の性的関係を犯罪として扱ったかにある。

「姦通罪」という語から、現代の恋愛や夫婦関係をそのまま過去へ投影することはできません。この記事で扱う中心は、1907(明治40)年に公布された刑法の第183条と、その条文が1947(昭和22)年の刑法改正で削除されるまでの法制史です。

読むべき資料は三つに分かれます。第一は、処罰対象・刑罰・告訴を定める刑法。第二は、夫婦関係の破綻や貞操を私法上どう扱うかという民法・法学の議論。第三は、『青鞜』などの雑誌や国会で、女性と男性の貞操をどう考えるべきか語られた規範の歴史です。これらを一つの「日本人の性意識」にまとめないことが出発点になります。

刑法183条は、誰を罰したのか

条文の主語、相手方、告訴権を分けると、男女非対称の構造が見えてくる。

戦前の刑法183条は、当時の文言で「有夫ノ婦」が姦通した場合を処罰し、その相手の男性も同じように処罰すると定めていました。刑は二年以下の懲役で、罪を論じるには本夫の告訴を待つ、という親告罪の構造でした。現代の法令用語へ置き換えるだけでなく、妻と相手の男性、夫の告訴という三つの位置を確認する必要があります。

ここで重要なのは、夫が妻以外の女性と関係を持った場合を、同じ姦通罪として処罰する条文ではなかったことです。参議院法制局の法制史解説も、妻の姦通だけを処罰し、夫の姦通は処罰しなかったため、憲法14条の法の下の平等との関係が問題になったと整理しています。

したがって、この罪は「夫婦双方の貞操を対称的に守る制度」ではありませんでした。誰の身体・婚姻・家の血統を刑法が保護するのかという、家族規範と刑事制裁の組み合わせとして読む方が、条文の非対称性を捉えやすくなります。

  • 対象 — 有夫の女性と、その相手の男性
  • 手続 — 本夫の告訴を待って罪を論じる親告罪
  • 非対称 — 夫の婚姻外の関係を同じ姦通罪として処罰する構造ではなかった

家制度の歴史と姦通罪の歴史は、重なるが同じではない

戸籍・家族法を扱う制度史と、犯罪・告訴を扱う刑事法史を混ぜない。

家制度や父系的な家族観は、姦通罪の背景を考えるうえで無関係ではありません。しかし、戸籍が誰を登録したか、民法が家族・相続・婚姻をどう構成したか、刑法がどの行為を犯罪にしたかは、別の制度です。家制度があったから姦通罪の条文が自動的に決まった、と説明すると、立法・運用・道徳言説の違いが消えてしまいます。

明治時代の結婚制度とは? では、1871年以後の戸籍、1898年の民法親族相続編、媒酌結婚、女戸主、1947年の家族法改革を追いました。こちらでは、その記事の中心である家族登録や婚姻慣行ではなく、刑法183条の犯罪化、夫の告訴、男女平等をめぐる改正論に焦点を移します。

1910年代の「貞操の男女平等」:法令の外で争われた規範

貞操は、刑罰の条文だけでなく、女性雑誌や論争のなかでも定義し直された。

1911(明治44)年に創刊された『青鞜』を中心に、処女・童貞・貞操をどう考えるかをめぐる論争が展開しました。赤川学は、1910年代の貞操論争を、男性と女性に異なる純潔・貞操規範が課される「二重基準」を、どの史料から社会規範として論じられるのかという歴史社会学の問題として検討しています。

この研究が示すのは、当時の全女性・全男性が一つの意見を持っていたということではありません。雑誌に残った論争は、規範への異議申し立てや、別の貞操観の言語化を見せる一方、雑誌の読者・執筆者の範囲を越えて社会全体の経験を代表するわけではありません。

刑法183条の非対称性と、雑誌上で男女の貞操を平等に扱おうとする言説は、同じものではありません。ただし、誰の貞操を「自然」や「道徳」として扱うのかが、法廷の外でも争われていたことを確認できます。

1947年の分岐:男女双方へ広げるか、罪そのものをなくすか

戦後の改正論は、男女平等を刑罰の拡張で実現するか、刑法から手を引くかを問うた。

日本国憲法の施行を受け、明治40年刑法の見直しが進むなかで、第183条をどうするかが問題になりました。小西葉子の研究整理では、妻だけでなく夫にも適用する「両性適用論」と、姦通罪そのものを廃止する「廃止論」が対置され、戦後の法制審議では廃止論が僅差で採択されたとされます。

1947年8月12日の参議院司法委員会の会議録には、従来の男女非対称を改めて男女双方を処罰すべきだという意見と、姦通は刑法ではなく民事・道徳の問題として扱うべきだという意見の両方が残っています。国会会議録は議論の一次資料ですが、個々の発言をそのまま国会全体や社会全体の合意と読むことはできません。

国立公文書館の展示は、臨時法制調査会の答申を「姦通罪に関する規定を削除し、これを道義及び民法上の問題に譲ること」と紹介し、1947年10月26日公布の刑法改正法へつないでいます。ここには、男女平等の実現をめぐる二つの法政策の選択が現れています。

  • 両性適用論 — 夫の姦通も含めて犯罪化する
  • 廃止論 — 姦通を刑法の対象から外し、道徳・民法上の問題へ委ねる
  • 1947年の結果 — 第183条の姦通罪規定が削除された

廃止は、貞操規範の消滅ではなく刑事制裁の境界変更だった

犯罪でなくなったことと、道徳・私法上の議論がなくなったことは別である。

1947年の廃止を「戦後、日本人が性に自由になった」とだけ説明することはできません。国立公文書館の整理が示すように、選択されたのは、姦通罪を刑法で処罰するのではなく、道義と民法上の問題へ譲るという制度上の線引きでした。刑事罰の対象から外すことは、夫婦関係や貞操をめぐる社会的評価、私法上の紛争、当事者の苦痛が消えたことを意味しません。

この境界変更を確認すると、「姦通罪がなくなったから、貞操という考え方もなくなった」「現代の不貞は刑事事件ではないから問題がない」といった、歴史から現在を直線的に判断する読み方を避けられます。ここで扱うのは、国家刑法が私的な性的関係へどこまで介入するかという近代法制史の問いです。

姦通罪の歴史を、三つの資料層で読む

条文、審議、言説を並べると、法が作った非対称と、法を問い直した声を同時に追える。

第一に法令索引と刑法の沿革から、1907年の刑法と1947年改正の位置を確認します。第二に、国立公文書館の改正資料と国会会議録から、廃止か男女双方への拡張かという政策論争を読みます。第三に、赤川学の研究から、1910年代の貞操論争を、社会全体の単一の意識ではなく、雑誌に残る言説の構成として検討します。

この三層を合わせると、姦通罪は「昔の人が不倫を嫌った」という道徳話ではなく、婚姻・家族・性別・刑罰を国家がどのように結びつけ、戦後にその結びつきをどこまでほどいたのかを考える入口になります。

  • 法令 — 誰を処罰し、誰に告訴を委ねたか
  • 審議 — 男女平等を拡張か非犯罪化か、どの論拠で争ったか
  • 言説 — 貞操や二重基準が、雑誌・研究でどう名づけられたか

日本の姦通罪は、貞操をめぐる国家介入の歴史である

日本の姦通罪を理解する鍵は、妻と相手の男性を処罰し、夫の告訴を前提にした刑法183条の非対称性、1910年代に女性雑誌などで争われた貞操規範、そして1947年に男女双方への拡張ではなく廃止が選ばれた法改正をつなぐことです。

明治時代の結婚制度とは? と比較すると、家制度・戸籍・婚姻規範と刑法上の犯罪化を分けて読めます。近代日本の性科学とは? と並べれば、貞操や性を法令だけでなく、知識・雑誌・教育がどう語ったかへ視野を広げられます。戦後の性管理を別の制度として読むなら、日本の売春防止法の歴史 も参照してください。

法令、国会会議録、研究論文の役割と限界は、参考文献・出典台帳 に残しています。姦通罪の廃止を、現在の関係の正しさや法的責任へ短絡させず、刑法が私的な性へ介入する境界の変化として読み直すことが、このページの結論です。