先に答え:ポルノグラフィ史は、性表現と媒体・規制の接続を読む

「ポルノグラフィ」は、すべての性的な図像や映像を指す自然な分類ではなく、時代ごとに作られた分析語でもある。

日本のポルノグラフィを「いつから存在したか」だけで説明すると、江戸の春画、近代のわいせつ概念、戦後の映画産業、ビデオ市場、表現規制を一つの連続した性文化へ圧縮してしまいます。本稿では、何がポルノグラフィと呼ばれたか、どの媒体で流通したか、誰が規制・自主規制・批評を担ったかを分けて記録します。

赤川学の研究書は、ポルノグラフィを性欲や性表現の内容だけでなく、受け手を性的主体として構成する社会的・歴史的な装置として捉え、日本のポルノグラフィとアダルトビデオを別の章で扱っています。ここでの「ポルノグラフィ史」は、作品の鑑賞案内や現在の成人向けコンテンツの紹介ではありません。

現在の作品選び、利用、制作、出演、契約、年齢確認、違法性、被害支援や個別の法律相談は扱いません。戦後の出版・映画・ビデオを、公開された判例、法改正、研究論文、大学リポジトリの範囲で読みます。

1907年刑法175条:わいせつ物という法的カテゴリー

日本の近代的な性表現規制は、ポルノグラフィという語より先に、わいせつな文書・図画などを処罰する条文の形を取った。

国立国会図書館の日本法令索引で確認できる明治40年刑法は、刑法175条を含む近代刑法の出発点です。ここで法が問題にするのは、性表現を含む社会全体ではなく、わいせつな文書・図画その他の物の頒布、販売、陳列などに関わる行為です。

したがって、「ポルノグラフィ」と「わいせつ物」は同じ語ではありません。前者は出版・映画・ビデオをめぐる社会学・メディア研究の分析語、後者は刑法上の判断対象です。作品の内容、販売方法、媒体、判例の基準を混ぜないことが法制史の出発点になります。

江戸春画の出版統制や明治期の春画の「猥褻」化は、近世の図像と近代の法的分類が接続する別の問題です。江戸の春画をそのまま戦後のポルノ産業の起源とするのではなく、誰がどの語で表現を分類し、どの流通経路を対象にしたかを比較します。

1950〜1957年:チャタレー事件と翻訳出版の境界

文学作品の翻訳・出版が、わいせつ文書と表現の自由の争点になった。

国立国会図書館の書誌資料が示すチャタレー事件は、D・H・ロレンスの『チャタレー夫人の恋人』の翻訳出版をめぐる猥褻文書販売被告事件です。1950年の出版・販売を経て、1957年3月13日の最高裁大法廷判決で上告が棄却され、有罪判決が確定しました。

この事件は、戦後のポルノ産業の始まりを直接説明する裁判ではありません。翻訳文学、出版社、大学教員でもあった翻訳者、刑法175条、憲法21条の表現の自由が同じ法廷で接続されたため、何を法が「わいせつ」として扱うのかを読む入口になります。

事件を「文学だから自由」対「性的だから禁止」という単純な対立へ縮めると、出版形態、作品全体の読み、裁判所が置いた公共性や道徳の語が見えなくなります。判例の結論と、後の研究・批判が問い直した境界を分けて記述します。

1969年:芸術性とわいせつ性を別の次元で判断する判例

後続判例は、芸術的・思想的価値があることだけでは、刑法175条の評価から自動的に外れないという枠組みを示した。

最高裁の「悪徳の栄え(続)」事件判決は、芸術的・思想的価値とわいせつ性を異なる次元の概念として扱い、芸術性がある文書でもわいせつ性が認められれば刑法175条の対象になり得るという考え方を示しました。これは、チャタレー事件の判例を参照しながら、文学・芸術・法的評価の境界を別の事件で反復したものです。

ここで重要なのは、裁判所が「芸術かポルノか」という市場上の分類を決めたことではありません。法廷が性的表現を、作品の芸術性・思想性とは別の道徳的・法的な面から評価する構造を採ったことです。表現の自由の保障と刑法175条の適用が同時に論じられるため、単純な禁止史としては読めません。

後年の裁判資料は、社会通念、表現の自由、作品全体の評価、媒体の変化をめぐる議論を繰り返し参照します。ただし、判例の定式を当時のすべての出版物や現在のデジタル表現へ機械的に移すことはできません。

1960〜70年代:ピンク映画と日活ロマンポルノの産業化

映画産業の不況、低予算の独立制作、劇場の観客、性表現の需要が、戦後の映像ジャンルを形づくった。

小暮修三の研究は、1950年代半ばからの「海女映画」などの大衆映画の流れ、1960年代半ばの映画産業の不況と低予算のピンク映画、1971年に日活が一般映画からポルノ映画の製作へ転換した経緯をつないでいます。日活ロマンポルノは、単に性描写を含む作品群ではなく、映画会社、劇場、製作条件、シリーズ、観客の関係から成立した産業史の対象です。

同研究は、日活ロマンポルノが1971年から1988年まで継続し、その間に大量の作品が公開されたことを記録します。作品群は当時の風俗や流行を取り込みましたが、映画内の表象が現実の女性、地方、家族、労働をそのまま記録したわけではありません。表象された「地方の女」や「都会の男」は、観客へ向けた演出として分析する必要があります。

この時期の映画史を、抑圧か解放かの一語で評価しないことが重要です。低予算の制作環境が表現上の余地を作った面と、女性身体や地域像を類型化した面は、同じ作品群のなかで併存し得ます。

1960〜70年代:ポルノ映画は「民主」とジェンダー政治の場でもあった

ポルノ映画は、性的な刺激を提供する産業であるだけでなく、政治運動・男性性・女性の快楽・クィアな観客性をめぐる論争の場になった。

王温懿の名古屋大学博士論文は、1960年代から1970年代の日本のポルノグラフィ映画を、戦後の「民主」、ジェンダー、セクシュアリティの政治から分析しています。武智鉄二や若松孝二の独立系ピンク映画、東映ポルノ、日活ロマンポルノ、『愛のコリーダ』を同じものとして扱わず、制作背景、作品、言説、観客の関係を分けます。

この研究が示すのは、ポルノ映画を「男性が女性を見る装置」と一つに決めることの限界です。男性中心に製作・消費された歴史を批判しながらも、作品ごとに男性主体の不安定さ、女性の快楽、規範から外れる身体や観客性が異なる形で現れると分析されています。

研究上の多義性は、当時の作品を無条件に解放的と評価することとも、すべてを同じ被害や抑圧へ還元することとも違います。何が画面に表象され、誰が制作し、誰が見たと記録され、誰の経験が残らなかったのかを資料ごとに確認します。

1980年代:映画からビデオへ、媒体の境界が揺れる

AVの普及は映画を単純に置き換えたのではなく、撮影技術・流通・真正性の演出を組み替えた。

小田視希の2026年の研究は、1985年から1988年に製作された日活のロマンXシリーズを、ロマンポルノとAVの間にある「間メディア的」な実践として分析しています。ビデオカメラ、レンタル市場、映画会社の既存人材、作品の演出は、映画からビデオへの断絶ではなく、技術と表現が混ざる過渡期を作りました。

同研究は、ビデオ映像が作る手持ち撮影や日常性の感覚を、実際の出来事や出演者の本当の欲望をそのまま証明するものとは扱いません。映像が「本物らしさ」を演出する技法そのものを、ジャンルの政治として読みます。

この視点から見ると、1980年代のAV史は、作品数や有名人の列挙だけでは足りません。映画とビデオの製作環境、自主規制、技術の軽量化、観客へ提示される「真正性」の語を同時に追う必要があります。

1988年以後:ロマンポルノの「終焉」とレーベルの再編

映画からビデオへの移行は、映画館の性映画が消えて別媒体に置き換わったという一方向の出来事ではない。

日活公式の沿革は、ロマンポルノを1971〜1988年に製作・配給した成人映画レーベルと説明し、17年間で約1,100本が公開されたと記録しています。同じ公式記事は、1988年のいったんの終了後、2010年の「ロマンポルノ・リターンズ」、2016〜17年のリブート、パッケージ販売・配信・放送への展開も記します。ここで1988年は、映画史の終点というより、レーベル、審査、配給、保存・再流通の単位が組み替えられた境目です。

Jasper Sharpの2025年増補版は、1960年代以降のピンク映画と1971〜1988年の日活ロマンポルノを、独立制作・大手映画会社・専門映画館・検閲・インタビューから通史的に整理します。章立ては、ロマンポルノ終了後の1990年代のピンク映画、AVの到来、女性観客・女性監督・ゲイ部門、21世紀の新しい監督群と、DVD・インターネット時代の劇場映画の行方までを一つの映画産業史の地図に置いています。

この2資料を重ねると、1980年代の「映画からビデオへ」は単純な置換ではなく、映画館、作品の作り手、旧作の再評価、販売・配信、批評の経路が組み替わる過程として読めます。ただし、日活公式は企業側の回顧、Sharpのページは出版社による研究書紹介です。観客全体、出演者の経験、市場規模、現在の利用実態を代表する統計としては扱いません。

2011年:刑法175条が電磁的記録と通信送信を明示する

インターネットの普及によって、わいせつ物の法的対象は紙・フィルムだけでは説明できなくなった。

衆議院に掲載された2011年の改正法本文は、刑法175条に電磁的記録に係る記録媒体を加え、電気通信の送信によるわいせつな電磁的記録の頒布を処罰対象として明示しました。有償頒布目的の所持・保管も条文上に加えられ、流通媒体の変化が刑法の文言へ反映されました。

衆議院法務委員会の審議記録は、電子メールなどで電磁的記録を送信する行為について、改正前の条文と下級審の判断が問題になったことを示します。加藤敏幸の研究は、この改正の背景、新しい客体、サイバーポルノへの適用上の問題を整理しています。

2011年改正は、インターネット上の成人向けコンテンツを現在どう扱うかを説明するための実務マニュアルではありません。媒体の変化が、頒布、所持、記録媒体、通信という法的な単位をどのように再配置したかを読む制度史です。

ポルノグラフィ史を五つの資料層で読む

作品名の年表だけでなく、法・産業・媒体・表象・受容を別々に照合する。

第一に、刑法・判例から、何が「わいせつ物」として裁判の対象になったかを確認します。第二に、出版・映画会社・劇場・ビデオ市場の資料から、どの媒体と産業条件が作品を流通させたかを読みます。

第三に、作品研究から、女性、男性、地方、家族、クィアな身体、観客性がどのように演出されたかを確認します。第四に、技術と自主規制の資料から、モザイク、審査、レンタル、通信など、公式法令以外の媒介を追います。第五に、ポルノグラフィ研究の概念史から、自由、抑圧、真正性、性的主体という語がどの時期に組み替えられたかを読みます。

この五層を混ぜなければ、刑法の判決を業界全体の歴史へ、映画の表象を実際の生活へ、研究者の概念を当時の観客の意識へ短絡させずに済みます。この資料層の見分け方は、性の歴史はどう調べるのか? の史料批判と欠落の節で、性史全体の方法として説明しています。

  • 法制史 — 刑法175条、判例、表現の自由との関係
  • 出版・映画史 — 出版社、劇場、映画会社、作品群の流通条件
  • 媒体史 — フィルム、ビデオ、レンタル、電磁的記録への移行
  • 表象史 — ジェンダー、地域、身体、観客性の演出
  • 研究史 — 自由、抑圧、真正性、性的主体をめぐる概念の変化

春画の検閲史・性犯罪法制史とは、どこが違うのか

近い語を一つの「性表現史」へまとめず、時期・媒体・制度目的を分ける。

春画の検閲とは? は、江戸の出版統制、納本、明治以降の春画の「猥褻」化と展示制度を扱います。本稿はそこから続く戦後の出版・映画・ビデオを主対象にし、近世の春画を現代のポルノ産業の直接の起源とはしません。

日本の性犯罪法制史とは? は、強姦罪、強制性交等罪、不同意性交等罪という刑法上の犯罪類型を、性別、親告罪、監護関係、同意の要件から読みます。本稿は、性表現物の頒布・販売・媒体移行・表象研究を扱い、性的暴力の刑事責任を説明する記事ではありません。

近代日本の性科学とは? は、医学・性科学・翻訳・大衆知の生産と流通を扱います。性科学とポルノグラフィは近代の知識・出版市場で交差しますが、専門知の制度史と映像・出版産業の表現史は別の資料群です。

日本のポルノグラフィ史は、媒体が変わるたびに境界が作り直された歴史である

出版、映画、ビデオ、通信の変化は、表現の自由・規制・産業・観客性の関係を同時に組み替えた。

日本のポルノグラフィ史は、1907年刑法175条のわいせつ物、1950〜57年のチャタレー事件、1960〜70年代のピンク映画と日活ロマンポルノ、1980年代の映画とビデオの交差、2011年の電磁的記録への改正をつなぐことができます。ただし、この順序は「自由になった」「厳しくなった」という一方向の進歩史ではありません。

媒体が変わるたびに、作品の作り手、流通経路、観客へ提示される真正性、女性や男性の表象、法的に問題とされる行為の単位が変わりました。判例・映画研究・大学論文・法改正本文を別の層として重ねることで、ポルノグラフィを単なる作品ジャンルではなく、性をめぐる社会的・技術的な装置として読めます。

判例、法改正、映画研究、ポルノグラフィ研究、大学リポジトリの資料は、参考文献・出典台帳 に用途と限界つきで記録しています。